伝わらないとか 理解してもらえない ということは誰でも経験するよくあることだと思います ぼくも「なんでわかってくれないのかな」と思っているクチでした すごくいいことを言っているはずなのに 「はぁ、、、」 というリアクションだったりすると こっちもガッカリしたりして で、なんでかなと思って調べてみました
結論から言うと「人に物事を伝えるのってむつかしい」です 例えば「あ、今これをいいたい」と思ってもたくさんのハードルをクリアしないと相手には刺さらない となると「言えばきっと分かってくれるに決まってる」という思い込みは捨て去らないとダメです 理由はあとで後述します ではいきます
1.人は話を聞くときにはまず好きか嫌いかで判断します もうこの時点で自分が聞く耳を持ってない人からの話は聞く気になれませんよね この点に関して昔の僕は「今は多分好きでも嫌いでもないと思うけど、この話が刺さればきっと好き寄りになってくれるから大丈夫」とかいう雑な発想でした
2.そして「言ってることが理解できたか」 「よくわからなかったが聞き返すのもめんどくさいな」 ここでも話を聞いてもらえるかどうか変わってきます よくわからなかったから聞き返す努力をしてまで聞きたそうな話ではなければ 適当なリアクションをして話を終わらせればいいと実際僕も思っています 自身がそうなら当然みんなもそう思ってるわけだから 僕から話をする場合 わかってもらおうとすれば理解しやすいように説明をする努力をしなければいけません。 ここも昔の僕は「理解しやすく説明してるから大丈夫」とやはり雑な考えでした で、話しが伝わらないと「なんで理解しやすく説明してるのにこんなことも理解できないのかな、、、、」とか思ってました くそ野郎ですね 笑 理解するのは相手であり理解したいと思うのも相手。すべて相手が決めていいことなのに「理解しろよ」を押し付けてる時点で意味が分かりません
3.そして言ってることを「正しいと思えるか」 「そうは思えないか」でまた分岐します これは相手次第なので何とも言えませんが 「誰もが認める正しいこと」を伝えてる人は言っているつもりなので 同意してくれないと「じゃあおまえが間違っているよ」のフェーズに行ってしまうのをよく見かけます 僕もやった経験があります「同意してくれない=正しいと思ってない」とは限らないのに勝手に決めつけてるんですね。最悪ですね。
4.「今聞くべき意見かどうか」も審査の対象になってきます聞く相手にとって「そうかもしれないけど今じゃない」と思われたら運がよくて頭の隅に置いておいてもらえるかどうかくらいです 僕は「合ってんだから今すぐこの場で受け入れるべきだろ」とはさすがに思ったことはないですが 逆に人から忠告を受けて「それ今じゃないな」と、思ったことはあります
この「今じゃない」は最近の僕のテーマです その人の最近の興味のあるベクトルではない事柄を話しても どんなにわかりやすくしても どんなに正当性があろうと 「なんだその手の話か、、、」となりシャッターが閉まってしまいます 僕の現段階での結論は「今その場で自然にその話になった時」が話してもいい時じゃないかなと思ってます なおかつきちんとまとまっていて 正しいかどうかの検証もしてあって 相手の頭の中に自分の頭の中の映像と同じ映像を流せるくらいわかりやすく話せるなら話してもいいのかな、、、と思います
ちなみに中国の偉人に韓非という人がいます この人の本「韓非子」の中に説難編という部分から抜粋すると
「およそ、君主に説くことの難しさは、君主に説くほどの内容を自分でわきまえることが難しいというのではない。また、自分の意向をはっきり伝えるまでに弁舌をふるうことが難しいというのでもない。さらに自分の重いどおりに自由自在に弁じたてて語りつくすことが難しいというのでもない。およそ説くことの難しさは、説得しようとする相手の心を読みとって、こちらの説をそれに合わせることができるかというところにある。」
人に話を伝えるのはこんなに大変だということを語った一説です 相手が思ってることをまず理解して相手が思ってることに寄り添うように自分の表現を工夫して相手に理解してもらいやすくして初めて相手に話が伝わる そして伝わった話を相手がどうするかは相手が決める と、言っています(多分) 人に話を伝えるのはこんなに大変なんだな、、、でも逆に聞く側だったら当然だな、、、と思いました
最初に言った通り「いえばきっと相手は分かってくれる」なんていうのは幻想でした
と、いうわけでよっぽど「今言うしかない」時以外容易に考えを発表するのは控えようと思いました。
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